任天堂が勇者ロトを埋葬していた――ファミコンにまつわるムダ知識30!

※本記事は雑誌「ゲームラボ」等に掲載した記事の再掲載版です。2015年初出時のものとなっております。あらかじめご了承ください。

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任天堂がファミコン用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』を発売してから今年で30年!  振り返れば、我が人生はファミコンとともにあった……なんてしみじみ。そんな30周年を記念して勝手に集めてみましたよ。「知っておいても役に立たない……けど! 知っておきたいファミコンのムダ知識“30”連発」!!

※ムダ知識まとめ人:ファミカセをコンプするレトロ系ゲームライターの冨島宏樹氏

【01】ファミコンの商標はもともとシャープが持っていた

「ファミコン」といえば任天堂の登録商標……と誰もが思いがち。実際、現在はそのとおりなのだが、そうなるまでにはちょっとした紆余曲折があった。1983年10月、シャープが「ファミコン」の商標を娯楽分野で出願したのである。

ファミリーコンピュータが「ファミコン」で定着することまで任天堂が予測していなかった……からかは定かでないが、ともあれ後に任天堂はファミコンの商標をシャープから譲り受けることに。

ちなみに、任天堂とシャープはゲーム&ウオッチを共同開発したり、シャープから引き抜かれた技術者の上村雅之がファミコンの開発責任者になったりと、古くから関わりが深い。後にシャープからはファミコン内蔵テレビ「C1」(※1)やツインファミコン(※2)など関連マシンが発売され、ファミコン発売後も良好な関係が続いたようだ。

すんなりと商標が渡されたのも、この2社間なら納得がいく。さらに余談だが、実はファミコン発売からさかのぼること3年前、すでに「ファミコン」という商標はシャープが家電分野で出願している。ただしハードの略称と同じ名前のグリルオーブンレンジ「ファミコン」の発売に合わせてのもので、こちらはまったくの偶然だった。

※1 「C1」は、シャープがファミコンの商標登録を出願した1983年10月発売。これに合わせての出願と考えられるが、正式名称は「マイコンピュータテレビC1」で、ファミコンという言葉は含まれない。

※2 発売時は「なぜ任天堂ではなくシャープが発売を!?」と疑問を持った人も多かった。

【02】ファミリーベーシックはベーシックじゃないBASIC

続いてもシャープが絡むファミコン知識。ファミコンでプログラムが打てる「ファミリーベーシック」は、通常のBASICとは違う文法で作られていた。これは、ハドソンがシャープのパソコン・MZ-80k用に作ったプログラム言語「Hu-BASIC」をもとにしているため。ハドソンは初期にファミリーベーシック用ゲームプログラムが入ったムック本「少年メディア」も発売していたが、それは自分たちの作った周辺機器を盛り上げるためだったのだ。

【03】ファミコンの初期バージョンはボタンが四角

▲これ全部、四角ボタンのファミコン。箱もある。

ファミコンのABボタンといえば丸ボタンでおなじみだが、初期バージョンの本体では四角だった(画像をGoogleでさがす)。しかし四角ボタンは、押した後すぐにゴムが戻ってこなかったり、劣化が激しかったりと問題が多かったため、すぐに変更されている。当時、四角ボタンのファミコンを持っているということは「本当の初期に買った」という証だった。ちなみに、本体とコントローラをつなぐケーブルがグレー(通常は黒)という違いもある。

【04】光線銃とロボットは海外では勝利の象徴

日本では失敗したファミコン周辺機器の代表格とされる、光線銃とロボット。しかし、海外版ファミコン、NES(Nintendo Entertainment System)の場合は事情が異なる。NESは廉価版と豪華版の2バージョンが発売されたのだが、廉価版には光線銃が同梱され、豪華版にはさらにロボットが必ず付属していたのだ。

これはATARI2600の大失敗で冷え込んでいた海外の家庭用ゲーム市場に乗り出す際「さまざまな遊び方ができるゲーム機」と打ち出すことで、購買意欲をそそろうとしたのが理由とされる。それが功を奏してか、NESは海外でも大人気となり、任天堂の名を世界に知らしめた。ある意味、光線銃とロボットは海外の家庭用ゲム市場を復活させる救世主となったわけだ。

【05】任天堂無許可のアダルトゲームが存在する

ファミコンでソフトを発売するには、任天堂とのライセンス契約が必要……だったのだが、その慣習に反旗をひるがえしたメーカーがあった。その名はハッカーインターナショナル。ラインナップは任天堂許諾の正規ソフトでは絶対不可能な、アダルト要素の強いものばかりだった。『ボディコンクエスト』『エミちゃんの燃えろ野球拳』などタイトルだけで、どのような内容か窺い知れるというものだ。

後期には任天堂に真っ向からケンカを売る、マリオシリーズのパロディ『ミスピーチワールド』を発売したりと、話題は絶えないメーカーだった。後にこのメーカーはPSに正規ブランドとして参入。マップジャパンの名で活躍している。

【06】他メーカーの勇者たちを埋葬するお遊び

制作者のお遊びだろうか。ファミコンでは一部ゲームで、他メーカー作品の主人公が埋葬されているネタが見られた。口火を切ったのは任天堂『リンクの冒険』。サリアの街にある墓を調べると「ユウシャ ロト ココニネムル」とメッセージが表示されるのだ。これが『ドラクエ』の勇者ロトを意識していたことは間違いないだろう。

これを受けて初代『FF』では、エルフの街に「リンクここにねむる」と書かれた墓が登場。さらに『ケルナグール』に、このお遊びは伝播する。『FFⅡ』の主人公が埋葬されたと思われる「フリオニールここにねむる」の墓が現れた。こんなブラックなネタが許されたのだから、おおらかな時代である。

【07】任天堂純正の周辺機器にホルスター

『ワイルドガンマン』にはベルトとホルスター、光線銃、ソフトが同梱の『ワイルドガンマンセット』が存在する。この中のホルスター(Googleで画像をさがす)は後に単品でも発売。しっかりと任天堂純正品の型番(HVC-006)もつけられている。

【08】フィットネスマシンとファミコンの融合

1988年にブリヂストンサイクルが開発した「ファミコンフィットネス」(Googleで画像をさがす)。これはファミコンとエアロバイクをつなぐことで、健康管理ができるというシロモノだった。ムダ知識15の通信アダプタもつなげれば、電話回線経由で運動量を分析してくれるサービスまであったのだ。ブリヂストンサイクルは何とかファミコンを自転車と結び付けようとしていたらしく、自転車屋にカスタム自転車を組むためのソフト『テーラーメイド』(非売品)を配布した過去もある。

【09】ドラマが『マリオ』をリスペクト

1986年に放映された、長渕剛主演の『親子ゲーム』がそれだ。劇中にはプレイ画面が出てくるだけでなく、重要キャラの少年の名前も麻理男(マリオ)。第1話のタイトルからして「スーパーマリオになりたい」である。

【10】『スペランカー』もドラマに出演

2013年に放映された『ビブリア古書堂の事件手帖』の第3話には、『スペランカー』がレアなゲームソフトとして登場する場面があった。箱・説明書はもちろん、ステッカー付きの美品だった点にこだわりを感じさせる。

【11】ファミコン本体にはマンガが付属

▲こちらはディスクシステム本体に付属していた続編マンガ

その名も「これがファミリーコンピュータだ!!」。学習マンガをほうふつとさせる絵柄で、ファミコンの構造や使用上の注意点をわかりやすく解説している。何気にファミコン本体の分解図まで図説されているほどのガチっぷりだ(Googleで画像をさがす)。なお続編と呼べるマンガは、ディスクシステム本体に付属していた(写真)。

【12】“裏技”は雑誌によって呼び名が違った

ファミコンが生み出した文化のひとつ、裏技。この呼び名はコロコロコミックから広まったのだが、そうした出自からか、他の雑誌では隠しキャラやバグ技などを決して「裏技」と呼ばない風潮があった。ライバル誌のコミックボンボンでは「神わざ」、少年ジャンプでは「ファミコン神拳奥義」と言い換えられている。ゲーム雑誌でも同様で、ファミリーコンピュータMagazineでは「ウルテク」、ファミコン通信では「禁断の秘技」と呼ばれた。

【13】初めてのコンティニューあれこれ

ファミコンで初めてバッテリーバックアップを取り入れたのは『森田将棋』。ちなみに初めてパスワードコンティニューを導入したのは、ファミコン初のRPGでもあった『ハイドライド・スペシャル』だ。

【14】音声合成が初めて使われたのは……

ムダ知識【07】でも取り上げた『ワイルドガンマン』はファミコン初の音声合成搭載ソフトでもある(銃を撃つ合図の「FIRE!」の声)。さらに本作は、ファミコン初のシューティングゲームだったりも。

【15】ファミコンでもネット通信ができた

▲ディスクシステムを利用したネットワークサービス

ファミコンに別売の通信アダプタを設置、電話回線とつなげることで株取引やネットバンキング、競馬の電話投票などができた。まだインターネットすらなかった80年代にネット取引を実現していた事実は、慧眼そのもの。

【16】ディスクシステムの起動BGMの転生

マリオとルイージの追いかけっこで有名なディスクシステムの起動画面。実はここでの音楽は、後に意外なところで使われている。ゲームキューブのメインメニューBGMを16倍速にするとこの曲になるのだ。

【17】一番安いファミコンソフトとは

ファミコンで最も定価が安いソフトは『帰ってきたマリオブラザーズ』で400円。通常は500円のディスク書き換え専用ソフトだったのだが、スポンサーに永谷園がついていたことで、さらに定価が安くなった。

【18】一番高いファミコンソフトとは

反対に最も定価が高かったのは、やはりというか光栄タイトルである。『三國志Ⅱ』でなんと14,800円! ほとんど市場に出回らなかったサウンドウェア(いわゆるサントラ)同梱版はさらに高く、17,200円もした。

【19】幻の「銀箱」バージョン

初期任天堂タイトル16本にはパッケージが大きくなり、銀色になった後期出荷版――いわゆる「銀箱」が存在する。『ドンキーコング3』など一部タイトルは数が少なく、オークションなどで数万円の値をつけることも。

【20】末期に化粧直しされたナムコの名作

ナムコは中期からパッケージにプラスチック製のハードケースを採用。以降、ナムコファミコンソフトの代名詞ともなった。時は流れて90年代、初期のタイトルを再販する「ナムコ名作シリーズ」が始動した。ここで再び登場した『ギャラクシアン』『パックマン』『マッピー』『ギャラガ』『ディグダグ』は、すべて新たに作られたハードケース入り。ちなみになぜか代表作のひとつ『ゼビウス』はハブられ、第2弾が出ることもなかった。

【21】隠れすぎて気付かない復刻版

意外なゲームにオマケ要素としてファミコンソフトの復刻版が入っている例もこの世には存在する。例えばプレイステーションのRPG『Sonata』では、一定の条件を満たすと『ハイドライド・スペシャル』がプレイ可能。ゲームキューブの『バテン・カイトス』では予約特典としてファミコン版『ドルアーガの塔』の復刻版が用意された。最近ではニンテンドー3DSの『パチパラ3Dデラックス海物語』に、『イメージファイト』などアイレムのファミコン3作品がこっそり収録されている。

【22】ファミコンソフトが新作の特典に!?

『飛龍の拳烈伝GB』(カルチャーブレーン)の初回特典はファミコン版『飛龍の拳Ⅲ』……だがその発売は2000年。すでにファミコン環境も少なかった時代の斜め上すぎるサービスは「さすがカルブレ」と驚嘆をもって迎えられた。

【23】ファミコン最高のレアソフトとは!?

NES用ソフトだが『ニンテンドーワールドチャンピオンシップ1990』のゴールド版が、世界一レアとされる。ゲーム雑誌のコンテストでプレゼントされたもので、配布数はたった26本。海外ネットオークションでは出品されるだけで話題となり、100万円以上の値がつくシロモノだ。

【24】飯野賢治のアーリーワーク

2013年、42歳の若さで亡くなったゲームクリエイター・飯野賢治氏。彼はファミコン時代、EIMという会社を起ち上げ下請けで開発を行っていた。『ウルトラマン倶楽部2』『たいむゾーン』などが彼の関わった作品である。

【25】橋本名人は、今やスクエニの偉い人

高橋、毛利に次ぐ名人といえば、バンダイの橋本名人だ。バンダイ退社後、コブラチームを設立した氏だが、そこがスクウェアの子会社となったことで本丸へ移籍。現在はスクエニの執行役員にまで上りつめている。

【26】コナミカセット左上に空いた穴の理由

サードパーティ製のカセットは、メーカーごとに趣向が凝らされていた。その中で、謎だったのが左上に穴が空いたコナミカセット。実はこの穴は紐を通して持ちやすくするためのもの。誰もそんな使い方はしなかったが。

【27】意外にもファミコンに皆無なゲーム

正規発売されたファミコンソフトの中に、麻雀やオセロはあっても、実は花札のゲームは1本もない。ただし前述のハッカーインターナショナル製の無許可ソフトには『AV花札倶楽部』など数本が存在していた。

【28】ファミコンで最も売れたキャラゲー

これは1986年発売の『忍者ハットリくん』で、約150万本。この記録は原作ありのキャラゲーとしては長く1位の座に留まり、ゲームボーイの『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』が161万本で抜くまで12年間君臨しつづけた。

【29】スポーツゲーム売上No.1は

もちろん『ファミスタ』シリーズ……ではなく、細く長く人気を誇った任天堂の『ゴルフ』が246万本でトップ。2006年に『WiiSports』(350万本以上)が発売されるまでスポーツゲームの1位を、こちらは22年間キープした。

【30】マリオの売り上げ1位は条件付き!?

『スーパーマリオブラザーズ』は、正確には「日本で単一のソフトで」売り上げ歴代1位。バージョン違いもありなら初代『ポケモン』、海外を含めれば『WiiSports』にトップを譲る。それでも国内681万本は大記録だ。

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以上、ファミコンのムダ知識30連発でした。本企画をまとめたライター・冨島宏樹氏の著書『ファミコンクエスト』が発売中です。うちらはどうしてあれほどファミコンに熱狂したのか? その熱を支えたさまざまなゲームタイトルを思い入れたっぷりに解説していく一冊。ファミコン好きな方にめっちゃオススメな本となっていますよ!!