戸沢村人喰いグマ事件|昭和63年|日本クマ事件簿

本記事は書籍『クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。
はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害(ゆうがい)事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

発生年1988(昭和63)年5月25日・10月6日〜9日
現場山形県戸沢村
死者数3人

ヒグマに比べて凶暴性が低いといわれるツキノワグマによる、3人が死亡した山形県戸沢村の事件。被害の大きさもさることながら、奇妙な「説」も存在する。いわく、「実は、加害クマはかつて村内の集落で育てていた個体らしい」──。真相を知るべく現地を訪ね、関係者や地元の方々に話を聞いてみることにした。

第一の死亡事件
沢で山菜採り男性が襲われる

1件目の事件は、1988(昭和63)年5月25日に起こった。

戸沢村神田に住む農業を営むA(61歳)が、午前10時ごろに山菜採りに出かけたまま戻らないと、新庄署に午後9時過ぎに届けがあった。家族や地元消防団員約30名が付近の山林を捜索したところ、午後10時ごろ、杉沢集落から500~600m上流の杉沢で仰向けに倒れているところを発見。着衣はボロボロになり、リュックサックや所持品が散らばっていた。尻や両足太腿の筋肉が後部から削ぎ落とされており、両足先や腕にも傷があった。この様子を見て、一同は「クマだ!」と直感したという。

4人が連絡のために降り、6人が現場に残った。その約40分ほど後のこと、暗闇の中で音がした。懐中電灯の灯りを向けると、クマの姿が浮かび上がった。

「クマだ!」、全員で威嚇の声を上げながら石を投げつけた。すると、ブナの木の下にいたクマは間もなく姿を消した。6人は、遺体の回収を断念し、「オーイ、オーイ」と声を出し、クマを警戒しながら、大急ぎで下山したという。

翌26日午前5時、消防団員・新庄署員10数名に、猟友会ハンター6名が加わり、現場に向かい遺体を回収。検視の結果は、失血死。Aは、山菜採りの途中にクマにばったり遭遇。逃げようとしたところを後ろから襲われ、沢に転落して亡くなったと断定された。

事件を受け、地元猟友会は、有害鳥獣駆除の緊急許可を得て、27日から翌月4日までの1週間、事件が起こった神田地区の中沢付近を中心にクマ狩りを行うことにした。しかし、この時のクマ狩りの成果はあがらなかったと、新聞には書かれている。

第二の死亡事件
5カ月に再びクマが出現

第二の事件が起こったのは、数カ月後の10月6日。午前9時ごろ、主婦のB(59歳)がクルミ採りに行ったまま戻らないと、家族が新庄署に捜索願を提出。彼女が行ったのは自宅から400mほどの権現山の山裾で、いつも出かけている場所だという。地元の人などが午後9時ごろまで捜索したが、見つからなかった。

翌7日の午前6時20分ごろ、地元消防団員・新庄署員・猟友会員総勢57名が捜索を開始。4班に分かれて山に入ったところ、わずか1時間後の午前7時37分、クルミの木の下で亡くなっているBさんを発見。右腕と両足の肉を削ぎ落とされていた。そして、付近には、7~8mほどの遺体が引きずられた跡もあったという。

『山形新聞』1988(昭和63)年10月7日

近くには、長さ25㎝ほどの獣の足跡があった。また、付近のクリの木にはタナ(※1)があり、別の木にはクマが皮を剥いだ跡など、クマの痕跡が多数残されていた。この現場はAの事件と、200mほどしか離れていなかった。

※1 木の実を食べるために梢に登ったクマが、枝を敷いて作る場所のこと

山形大学理学部の大津高教授は、『山形新聞』(1988年10月6日)で、「Bを襲ったのは、(Bと)同じクマだろう」とコメントを出している。「ツキノワグマでも血や肉の味を覚えると人を襲うこともあり得るので、早く駆除するべきだ」と。この年は、山ブドウやクルミが不作で、クマが人里近くまで降りて来ていたという。

事件を知った村民は〝人喰いグマが近くにいる!〟と騒然となった。翌8日、早速現場付近で猟友会がクマ狩りを行うことになった

第三の死亡事件
クリ拾い中に襲われる

3件目の事件は、Bの事件のわずか3日後の9日だった。

午前8時半ごろ、酒田市のC(61歳)は、家族5人で持ち山である戸沢村の古口にクリ拾いに出かけた。正午ごろのこと、家族はそれぞれ別々にクリ拾いをしていたが、夫のD(64歳)が、クマの足跡を発見。家族に知らせようとして、血まみれになっているCを発見した。

付近にクマがいたため、火を焚き、大声で叫ぶなどしてクマを追い払い、救助を求めたという。Cは、左太ももなどを噛まれていた。山形県立新庄病院に運ばれたが、午後3時半、失血により死亡が確認された。

『山形新聞』1988年(昭和63)年10月10日

一方この日、2件目の事件を受け、地元猟友会は現場の杉沢地区でクマ狩りを行っていたが、成果をあげられていなかったので、一旦帰宅していた。そこに、村役場から事件の知らせがあり、急遽13 人が現場に向かった。

猟友会の1人が現場から100mほど離れた山道を捜索していると、クマと遭遇。クマは、口を大きく開きハンターを威嚇した。猟銃を向けると、横を向いて逃げ出そうとしたため、発砲。右わき腹に当たり、倒れたところをもう一発撃ち込んで仕留めた。体長145cm、体重100kgのオスのツキノワグマだった。

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